2011年01月30日

★明日こそジンシャーティー 【9】


「じゃあ、ストロベリーティーで」
「はい」
 初めて、こちらから何も言わないうちに紅茶を頼んでもらえた。しかも、ストロベリーティーは私もお気に入りである。
 大会の後意気投合し、明乃さんはお店まで来てくれた。メニューを見るなり注文。しびれる。
「いいお店ですね。落ち着く」
「ありがとう」
 明乃さんは美人なだけでなく感じもよく、非常に優しくて、そして楽しい人だった。妹のこと、将棋のこと、いろいろと教えてくれた。
 明乃さんの妹は、江草美沙さん。中学生から将棋をはじめ、女性のプロになるため、研修会というところに所属しているらしい。ここで一定の成績をとれないと、プロになれない。
 妹が頑張っている姿に触発されて、明乃さんも将棋を始めたという。妹には悔しくて聞けないので、雰囲気のいい教室や道場(そんなものあるんだ! と思った)を探し回っているとか。
「まさか美沙がここに来ていたなんて、びっくりです」
「レモンティーを頼んだの。私にとって、初めての紅茶」
「あれ、でも池永先生がよく来てるって言ってませんでしたっけ」
「あの人はまずいコーヒーが好きみたい」
「ああ……わかる」
 ゆったりとした時間が、幸福に流れていくのがわかる。明乃さんは、私が望んでいた空間をこの店の中に作ってくれる。そういうものをまとった人なんだと思う。
「美沙は昔から池永さんにお世話になってるんです。池永さんがプロになったから、自分も早くそうなりたいって。でも、やっぱり厳しいですよね」
「やっぱりプロも……男だらけなんですか?」
「うーん、そうといえばそうだし。ただ、女性だけのプロがあって、美沙はそこを目指してるんです」
「へー、スポーツみたい」
 将棋は、頭でするものなので男女差がない、ような気がする。けれども、実際に会場にいたのは男の人ばかりで、当然優勝するのも男性だ。あの中では、最初の一歩さえもひるんでしまう。そうすると女性は参加することもなくて、結局男社会で、居酒屋なのだ。
「本人の大きな目標だから、プロになれればいいんですけど……」
 あの日の彼女の顔を思い出す。それは……厳しい世界に似合うとは思えなかった。「結局は将棋が好きか」池永さんはそう言った。でもきっと、それ以外の困難はたくさんあると思う。とはいえ、具体的には、どんなことかはわからない。
「将棋のこと、もっと知りたくなってきちゃった」
「面白いですよ、いろいろと」【9】


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2011年01月13日

★明日こそジンジャーティー【8】

 重い腰を上げた決意は、早くも崩れ落ちてしまいそうだった。
 先日アゴヒゲ山本が「将棋の大会、プロの先生が来るらしい」と言っていたので詳しく聞くと、初心者コースは無料だというのだ。これまで一人で唸りながら勉強していた私にとって、またとない実戦のチャンスである。
 そんなわけで快晴の日曜日、どんな太陽の下でもなく、大会が行われるという会館にやってきた。会場は三階。気合を入れて階段を駆け上がってきた。
 入口の前には長机が並んでいて、おばさんが二人座っていた。
「こちらで受付をお済ましください」
「あ、あの……初心者コースで」
「はい。初心者コースは無料になります。こちらにお名前と住所をお願いできますか」
「は、はい」
 記帳を済ませ、恐る恐る会場に足を踏み入れよう……とした。が、目に飛び込んできたその風景に、体が硬直してしまった。
 おじさんおじさんおじさんおじさん少年おじさんおじいさんおじさん青年おじさんおじさん……
 ぐるっと見まわした結果、女性は三人しかいなかった。女の子が一人、おばさんが一人、そして同年代ぐらいの、ポニーテールの方が一人。今すぐその人のところに駆け寄りたい気もしたが、そのためにはおじさんの海を泳いでいかねばならない。
 別におじさんが嫌いだとかそういうわけではない。将棋は男性が多いだろうことも予測していた。しかしこれほどまでに世代がばらけていないとは! この中に入れば、若い女性は目立ってしまうに決まっている。
 なんとなくだが、店に来ていた二人の延長線上で考えていたことに気付かされる。若い二人の姿を見て、若者が人生をかけるものに対して興味がわいたのだ。それがまさかこんな状態とは……
「はじめまして」
「え、あ、はじめまして」
 気がつくと、ポニーテールさんが目の前まで来ていた。肌が白くて、鼻先が通っていて、上品な美人だ。
「驚きました?」
「そう……ですね」
「私も最初はびっくりしたんです。大きな居酒屋かと思いました」
「ははは」
「でも、気にしなくていいんですよ。将棋、楽しいですから」
 この人がいてよかった。本当によかった。
「あ、これ」
「あ、はい」
 彼女は、名刺をくれた。そんなこと想定していなかったので、私は名刺を持っておらず、ひたすら頭を下げるしかない。
「……あ」
 薄いオレンジ地の名刺。そこには、所属している事務所だとか何とかのことが書きこまれていたが、私が目をひかれたのはただ一点、名前だった。江草明乃。
「どうしました?」
「ひょっとして……お姉さん?」
「あら、妹を知っているんですか? 今、育成会なんです」
 世間は狭い。狭すぎる。 【8】
posted by らくは at 23:25| Comment(0) | ★小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

★明日こそジンジャーティー 【7】


「これ……どうぞ」
 突然出されたティーポットに、池永さんはとろんとしていた目をきょとんとさせた。私は気付かないふりをした。
「マスカットティーです。香りがとてもさわやかで、気分がすっとするんです。私からのサービスです」
「……ありがとう」
 池永さんはおぼつかない手つきで紅茶を注ぎ、顔を近づけて香りを嗅いだ。そして、一瞬目をきりっとさせた。
「どうですか」
「確かに、爽やかだ」
 そのあと彼は、一杯目を一気に飲み干した。嬉しい飲み方ではないけど、飲んでもらえたことが嬉しかった。
「温まって、落ち着いて、紅茶ってちょっとした魔法なんですよ」
「魔法……」
 我ながら恥ずかしいことを言ったと思ったが、池永さんは真面目に受け取ってくれたようだ。隣で父は含み笑いをしているが。
 そのあと二杯目はゆっくりと飲み、少し残った三杯目を更にゆっくりと飲んで、池永さんは立ち上がった。
「ご迷惑おかけしました」
「いや、全然。いつでも飲みに来てよ」
「ありがとうございます」
 会計を済ませた後、池永さんは思い出したように振り返った。私の顔を見ている。
「紅茶もおいしかった」
 ふらふらとした足取りで、店を出ていく彼。そして、私の脇をつつく父。
「なに」
「粋なことするなぁ」
「お客さんに対する先行投資です」
「つーか、彼、紅茶飲んだことなかったのか」
「いつもコーヒー」
「あの不味いのを?」
 そう、あの不味いのを。彼は本当に、あれのことを美味しいと思っているのだ。
 そういえば、池永さんに次に会った時、言おうと思っていたことを言えなかった。「今度、将棋を教えてください」とてもそんなことを聞ける雰囲気ではなかった。そして一つ、後悔もしていた。
 こういう時は、ジンジャーティーの方がよかったな。  【7】
posted by らくは at 22:59| Comment(0) | ★小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする