2010年12月26日

★明日こそジンジャーティー 【6】

 池永さんは、来なかった。
 今までも来ない日はあった。今にして思えば、それは将棋の仕事がある日だったのだろう。
 結局、カフェタイムには一人もお客さんが来ないという不名誉なことになってしまった。父は特に何も言わないけど、さすがにこのままではまずい。
 焦りから無駄な動きが多くなる。まだ六時半、まだお客さんもおらず、たいしてすることもない。それでも洗い物がないかと覗いたり、注文を取りに行かなくていいかと機会をうかがったり。いつもより心がざわついているのがわかる。
 ドアが開く。父が「あっ」と言った。私は、声を出す事も出来なかった。
 入ってきたのは、池永さんだった。今日はスーツだったが、皺だらけになっていた。そしてそれ以上に、表情は疲れ切っていた。
 彼はよろよろとカウンター席まで来ると、父の目の前に腰掛けた。そして、小さな声で言った。
「夜は、お酒飲めるんですよね」
「ああ、まあね」
 父もいつになく困惑している様子だった。若いお客さん自体少ないうえに、こんなに様子がおかしい人はこのお店では見かけない。
「その……ブラックルシアンってありますか」
「あるけど、お薦めはしないな」
 ブラックルシアンは確か、ウォッカベースのかなり強いお酒だ。私なんかはにおいだけでふらふらしてしまうやつだ。
「……お願いします。あの、俺……」
「メニューにはないけど、ホワイトルシアンを作ってあげよう」
 池永さんは、虚ろな目で父がカクテルを作る姿を見つめている。ウォッカにカルーアを入れた、ブラックルシアン。そこに生クリームを入れたのがホワイトルシアン。飲んだことはないけれど、ブラックよりホワイトの方が随分飲みやすいと思う。
「はい、どうぞ。君、プロ棋士でしょ。黒より白の方が縁起いいよ」
「……」
 目の前におかれたカクテルに視線を落とし、しばらく池永さんは固まっていた。重なっていた氷が溶けてき、カチン、と音を立てた。
「……嫉妬なんです」
「は?」
「小学生の時からのライバルが……タイトル挑戦を決めて。悔しくてたまらないけど、おめでとうって……。昨日後輩に偉そうに言ったのに、俺自身はどこかで諦めていたり、なんて言うか……」
 言葉に詰まった池永さんは、一気にグラスの半分ほど飲みほした。よろしくない飲み方だった。一瞬目を見開いて、その後頭を抱えてしまった。
「すみません……いきなり来てこんな……」
「いいよ。そういうのは、若者の特権。一日ぐらいぐだぐだしたらいい」
「……ありがとうございます」
 その後は、時折ちびちび飲んで、首を振って、ため息をついて、目頭を押さえて。とても幼く見えた。そして、何とかしてあげたいと思った。
 私にできることは、少なかった。そして、今しないと色々後悔すると思った。 【6】


☆お知らせ
 『五割一分』に登場する金本月子さんが、ツイッター始めました。http://twitter.com/tsukiko_sann 主にブログの更新や、作者の近況などについてつぶやきます。
posted by らくは at 00:17| Comment(0) | ★小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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