2012年02月11日

ギブアップからIまでの距離‐3

 二か月ぶりにその姿を取り戻したClemencyは、当然のことながら依然と全く同じ外見だった。しかし、たった一つプログラムを変えただけで、誰の目からも違う動きをするようになった。人間とのスパーリングでも、以前はなかなかできなかったいいポジション取りなどをするのである。
「しかし、わからんねぇ」
 Hansは首をかしげている。
「何がだね」
 答えたのはJimである。
「何で急にできることが増えたんだ。細かいことはインプットしてないのに」
「それは、隙を作ったかららしい」
「隙?」
「そう。これまでロボットたちはできる限りベストを尽くそうと動いてきた。そのため相手のベストな予想の範疇で戦うことになった」
「ベストならいいじゃないか」
「……新しいプログラマは、こんな話を聞かせてくれた。コンピュータがショウギのプロに勝ち始めてからも、どうしてもトップ2には勝てなかった。そのうちの一人はこう言ったらしい。『ベストを尽くすということは、一つの棋風である。そしてその棋風はとても読みやすい。コンピューターがコンピューターである内は、私は負けない自信がある』と」
「へー、そんなものか」
 Jimは、人差し指をくるくるとまわして見せた。
「そこでプログラマは、わざとストームを起こした。思考のリズムに渦を起こして、ランダムにベストじゃない手を指すようにしたのさ。すると相手は手を読みづらくなる。そして感情のないコンピューターは、人間の誰よりも複雑な棋風を手に入れ、トップ2をも倒したんだ」
「しかしClemencyはまだベストにも至ってないんだぜ」
「もちろん、まだまだしなければいけないことはある。それは、俺の役目だ」
 Jimはシャツを脱ぎ捨て、リングに上がった。その上半身は、現役の時と変わらず引き締まっていた。
「さあ、ここからは俺が相手だ」
「わかった」
 Clemencyの冷たいレンズが、Jimの瞳をまっすぐに射抜いた。
「親子みたいだな」
 Hansは、新しい何かが始まるワクワク感を存分に感じて、ビデオを回し始めた。これは伝説の始まりかもしれない、そう思ったのだ。
posted by らくは at 14:38| Comment(0) | ★小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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